Column ひとこと

卒業制作副論2007/07/25

絵画作品を発表するとよく聞かれることがあります。タイトルの「領域」とはどんな意味で使っているのかと・・・しかし、なかなか一言では説明がつかないので困ってしまいます。 四年前に美大の卒業制作の副論で領域について述べています。今は多少考えも変化していますが領域に対する見方の原点ですので、この場にその副論を載せてみたいと思います。

領域の問題としての絵画

ホームで電車を待っている時、交差点で信号待ちをしている時、雑踏の中を歩いている時、…… ふと、自分の時間が止まるのを感じるときがある。その一瞬、私の動きは停止し、回りの雑音は消え去る。ただ、心臓の鼓動と意識だけが緩やかに流れている。次の瞬間、現実が復活し、静止していた「あの時」の空間だけが、切り取られたようにとり残される。「あの時」… 私の意識は停止した体から遊離し、無限にどこまでも広がる。「私は何者なのか」「いったい何をしているのか」… 回りの世界から切り離された空間の中の自分を見つめる。そこには確かに別の世界がある。私の時間と周りの時間との「ずれ」ともいえるだろうか。
時間の「ずれ」を意識しているうちに、いつからか、私の頭の片隅に「領域」という言葉がすみついた。人と人、物と物、人と物、それらの様々な関係は、時間の経過と共に変容する。あるときは明確に、あるときは曖昧に揺らぐ。その変容によってそれぞれの主体関係には、それぞれの「領域」ともいえる空間が生じる。その領域空間を見つめることで、私自身が存在する世界をも認識することができるのではないだろうか。
私が感じる「意識の浮遊感」は、もしかしたら、領域空間を見つめることなのかもしれない。領域空間の不可思議さ、そして、「あの時」の無限に拡張する意識の感覚。その様な世界を絵画の中に表現してみたいと思っている。

領域における人や物との様々な関係は、現実の世界に存在しながら、様々な要素を含有しているのではないだろうか。物の存在する空間、その物の占める領域は、他の物の空間や領域と響きあったり、貫入しあったり、または反発しあったりと、複雑な関係が見つめる時間の経過と共に生じてくる。
「領域」をテーマに絵画を制作することは単に空間としてではなく、また、単純に三次元空間を二次元の平面に還元するということではないはずである。平面上にそれを置き換えてみたとき、ひとつの物の領域は他の物との様々な関係を意識させる。その意識は想像力の問題にも置き換えられるだろう。また、絵画の表現はある種の曖昧性があり、その想像力は観者との関係においても同様に意識されることが求められる。
当初は絵画を表面に描かれたイメージという視点で捉えた。静物を平面化させると共に、新聞紙、麻布、寒冷紗などをコラージュすることで、三次元を還元させた二次元の世界と、二次元の物質とのぶつかり合いを表現してみようと考えた。平面化されたイメージの世界を試行するうちに、時間の経過とともに「変容する領域」をも意識するようになった。また、絵画は皮膜の連続として捉えることもできる。そして、その皮膜には時間的経過が感じられる。その皮膜の連続および集合の概念は、領域の問題の基本的構造を探る手がかりになるのではないだろうか。また、描き進むうちに、孔雀の羽や「眼」のモチーフによって、平面化された絵画と観者との間に視線の回帰が生じ、絵画の世界と現実の世界における不思議な領域が現れるのを感じた。
私にとって、絵画に領域を封じ込めることは、イメージを封じ込めることであり、行為をも封じ込めることである。皮膜として捉えた表面に、行為の痕跡として、削ったり、引っかいたり、貼ったりを試みた。コラージュされたものはコンポジションとしてのみ存在するのではなく、絵具で塗り込められたりもしている。最近では、グラインダーで削り落とすことを試みている。そこには、行為(=時間)の断層とも思われる皮膜が表出する。その行為の断層は、絵具やコラージュされた物の集合であったり、重なり合う連続であったりする。また、はがされることによって、過去の表現と、現実の表現との時間の「ずれ」も表出する。
封じ込められたものは、エネルギーのようなものを持っている。それが、何かアクションを起こすことで、たとえば科学物質が何かの振動で爆発するように、飛び散るのだ。それは、そのイメージの一部分であり、破片であったりするのだが、飛び散ったイメージのかけらはそれぞれにまた新たなイメージに拡張していく。そしてそれは、時間の経過とある種の質的変換を経て、いつしか他の空間と同化していく。変容する領域を追求していくことで、封じ込められたと思われる絵画空間に、私が感じる「意識の浮遊感」、無限に拡張していく感覚を表現することができるのかもしれない。
今様々な表現の行為を試しているが、次第にその要素を少しずつ取り去ることで、静かさや時間の停止、その中のわずかな揺らぎなども実現できるのかもしれないと考えている。
表現手段の最小単位と思われる二次元の平面に行為(=表現)を封じ込めることによって、小宇宙とも感じられるような絵画空間を表出することを目指したいと考えている。

(2004年3月 京都造形芸術大学卒業制作副論)by Taguchi